miracleさんの書いたことを考えてみる

◆ええ、たしかに

私はたしかに学士様や小路とコミュニケーションを図ろうとしたことなど一度もありません。コミュニケーションを図ろうと思ってもキ○ガイや陰謀論者と話が通じることなど期待できませんから。学士様に対しては、彼の書いたものを丹念に(!?)読んだ当初から「不遜な基地外」という認識をもっていたので、もともと話をするつもりはありませんでした。小路さんに関しては、一読して、頭が弱いことはわかりましたが(反日での一件を抜きにしても)頭が弱いなりにコミュニケーションが取れると思った瞬間もございましたが、その後、どんどんと陰謀論的な方向に取り込まれていき、さらにあれだけ学士様の書いているものが徹底的にボコボコにされたにもかかわらず、学士様マンセーを続けていたので、話をする気が完全に失われました。
きちがいにはもの
ということばには、「うしおととら」におけるうしおと獣の槍のようなニュアンスが含まれているように私には思います。うしおをきちがい呼ばわりとは何たる不届きな・・・というお怒りがあるなら、キリオとエレザールの鎌でもよいですが。きちがいにはものをもたせたときにはきちがいがきちがいてきな本質を発揮して、刃物を振るうことでしょう。刃物の「何かを切りつける」という性質とあいまって、きちがいの「とにかく敵を見つける」「ためらいなし」という性質がいわゆるシナジー効果を発揮し、無数の戦果をあげることでしょう。見たくもない光景ですが。それに対し、
きちがいとぎろん
ということばは、どうしようもなく無意味な営為を指し示しているといえるでしょう。きちがいは議論を作ることが出来ません。推論をすることが出来ず、妄想しか出来ないため、対話の相手にはことばが通じません。対話する側は一応理性的に話すはずですから、その差は埋まることがありません。ここでは、シナジー効果どころか共通の基盤形成さえ怪しいところですので、はっきり言って無駄です。
静流さんやmiracleさんは果敢にもこの「きちがいとぎろん」という行為に挑まれていることがありますが、そのたび、私は、お二人とも優しいなぁと思うことしきりなしといったところです。かむやまといわれひこも含めて、少なくともこの三人にはまともな議論に耐えうる力も、精神構造も有しておられないわけですから、世の中が崩壊したとしても彼らと対話が可能になることはないかと思われます。

そんな嫌な人はからかって、徹底的に馬鹿にして遊びましょうよ。
これが私のスタンスです。